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今日を楽しく♪

今日も楽しくこつこつと英語学習しています!

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母の助けがあればこそ

職場でもついに新型インフルエンザ罹患第1号が出ました。
また、小さいお子さんがいる先生の中にはお子さんの学校が
学級閉鎖や学年閉鎖で困っているだろう先生も・・・

以前に比べれば多少は働く女性に配慮のある社会になってはきましたが、
やはり、子供が病気になったり、学校行事があったりとなると
働く母親としては母としての思いと仕事の責任の間で葛藤する場面が
よくあると思います。

今振り返ってみると、私の場合も綱渡り状態でここまできたように思います。
一番大変だったのは、日本語スクールを立ち上げその代表を務めていた時代です。


息子が小学校2年、娘が保育園の年中さんだった時のことです。
まず、7月に10日ほどドイツの大学を訪問する機会がありました。
先方からぜひご主人も一緒にと言われ、夫も快く同行を了承してくれました。

SAVE01431111.jpg

そのドイツの大学と私の日本語スクールは提携関係にあり、
大学の1、2年で文法の基礎を学んだ学生を夏1ヶ月、
私のスクールに送り込み、会話を勉強させたいというのが先方の意向でした。

私はさっそくうちのスクールにホームスティバンクを立ち上げました。
また、ホテルを希望する学生、単身マンションを希望する学生のための
アコモデーションのオプションも作り、地元ホテルやマンション関係者に交渉し
留学生の1ヶ月のための特別プログラムも作ってもらいました。

いよいよ体制が整い、
ドイツでは先方の先生に会い、派遣予定の学生達と面談するため
7月7日の七夕の夜、夫とともにドイツに向かいました。
それが可能だったのは、母が快く留守中の子ども達を預かってくれたからです。

10日間、母は私の家に来て寝泊りし、
子ども達の面倒を見、家の大掃除までしてくれていました。
また、留守中の出来事を日記にも書いておいてくれたので
帰国後も留守中の子ども達の様子や食べた物、言動などがとてもよくわかりました。

母はやはりかなり無理をしていたのでしょう。
また、私たちの飛行機は大韓航空だったのですが(ソウル経由)
帰国2日前に金日成が亡くなったため金浦空港で暴動が起きる
などという噂もあり、私たちが無事帰ってこられるか、
万一のことがあってこの子達が親のない子になったら・・・
と随分心配もしたようです。

帰国してすぐの私たちは不在だった10日間を埋めるべく、
家族で海へ出かけたり、娘の保育園の夏祭りに行ったりしました。
今、↓の画像を見ると、よくもこんな小さな2人を置いていけたものだと思います。

SAVE0296.jpg  SAVE0297.jpg

私たちが帰国してから3日後、母は倒れ入院しました。
しかし・・・私には知らせてきませんでした。
入院から数日後にそれが発覚したときには、
水くさい!!!なんで知らせなかったのよ~~~
と、随分、母を父を責めたりもした私ですが・・・

おそらく両親は、私が知ると、
自分のせいで母が倒れたと思うに決まっているからと
バレるまではと内緒にしておいたのでしょう。
入院は1ヶ月ぐらいに及びました。

その夏のお盆、8月15日・・・
娘の保育園からは、「15日だけはお休みするから預かれない」と言われました。
本当はお盆前後もなるべくなら休ませて欲しいという空気が漂っていました。

300人も通っている大きな保育園でしたが、
さすがにお盆の週に入ると、だいたいの園児は休み、
クラスも合体され、全部で20人、10人、5人、3人・・・・となり、
娘は知らない子、知らない先生に見てもらっていたようです。

でも、私はそのドイツからの留学生の大事な授業がありましたし、
夫もその頃は仕事が忙しく、お盆も会議、会議でした。

娘には何とか我慢して保育園に行ってもらっていたものの
さすがに園から「8月15日は園を閉めますから」と言われたら
何とかしなければなりません。

私も夫も仕事が休めない。
母は入院中。父も仕事がある。
近所のママ友たちも皆、お盆で帰省している。
2年生の息子と保育園児の娘2人だけで留守番させるのは心配。

結局、その8月15日をどうしたか・・・
それは・・・

母が病院から外出許可をもらって実家で二人を見てると言ってくれたのです。
今、こうして書いていてもちょっと涙ぐんでしまいます。

入院から3週間ぐらいたっていて退院を1週間後に控えていたので
もう重病人ではなかったのですがそれでも入院中の身です。

でも・・・他に手はなかったのです。。

結局、母に甘えました。
朝、たくさんのお菓子とアニメの新作ビデオ、新しいおもちゃを
カバンにつめ、子ども達2人を車に乗せ、母の病院へ向かいました。
無事、母の外出を認めてもらい、今度は実家へ。

私の授業は3時間でしたので、
なんとか3時間だけ見てもらえれば・・・

ふだんはめったに与えない新しいおもちゃ、新作ビデオを持参したのは
母の手をできるだけ煩わせずにすむようにというせめてもの私の配慮でした。
子ども達にもばあちゃんになるべく迷惑かけないようにと言ってきかせたものの
さすがにスクールに向かうときは後ろ髪引かれる思いでした。

新人の先生に授業を代わってもらうことも考えましたが、
やはり大事な仕事、私が受けた仕事なので責任があります。

また、そのドイツの大学と提携できたのには、
私のドイツ人の友人の尽力によるものだったので
彼女に対する責任もあります。

無事、授業を終え、実家に飛んで行き、母を病院へ送り、
その日を無事過ごすことができました。

アダルトチルドレンだとか、母との葛藤だとかさんざん言ってきた私でしたが、
最近、少しずつ穏かな気持ちで母と接することができています。
そしてそういう気持ちでいると、これまで母にしてもらったこと、母の恩を
たくさんたくさん感じます。

これまで、母が~したから私は辛かったとかなんとかマイナスの記憶が多かったのが
今は、してもらってありがたかったことプラスの記憶がどんどん思い出されています。

私がいま大好きな仕事をこうして続けていられるのは
母のおかげだとつくづく思います。
ありがたいなあと思います。

入院を隠そうとしてくれていたことも
今なら素直にその気持ちを受け取れます。
母が元気なうちにこんな気持ちになれてよかったと思います。
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| 母と娘の葛藤 | 2009-11-03 | comments:2 | TOP↑

COMMENT

ぴあのさん、こんばんわ!

私は両親がはやく亡くなったので
こんな話は本当にうらやましいです。
吉田松蔭の「親おもう心にまさる親心~」という句を
思いだしました。
子どもも親も主人も生きていてくれるだけで
ありがたく、うれしいものですね。

| ジャスミン・リュー | 2009/11/06 22:25 | URL |

ジャスミン・リューさん

私って、普段は親不幸というか、自分勝手に生きているくせに、何かの拍子に、ふと親のこと考えると、あ~今の私が好きな仕事が続けていられるのは両親(特に母)のおかげだ~と、都合のいいときだけ感謝するという実に自分本位な私です。でも、さすがに自分も孫がいてもおかしくない年となってきた昨今、やっぱり親ってありがたいな~と思い、こうして感謝したい気持ちになったときにはそれを忘れないようにここに書いておこうと思うようになりました。

実は昨日、娘から、「月曜のある打ち合わせ会で1時間半一緒にいた子が新型インフルエンザだったって昨日判明した・・・打ち合わせ会の間中、咳こんでいたし、うつったかも・・・」と連絡があり、びびりまくっていた私です。ふだん当たり前のように感じていても、こうしたときにはただただ娘が元気でいてくれること、それ自体がありがたいことだと感じました。家族って本当に生きていてくれるだけで、元気でいてくれるだけでそれだけでありがたく、うれしいものなんだとジャスミン・リューさんの言葉で再認識しました!家族が元気でいてくれるからこそ、私たちも安心して英語学習ができるのですよね!!

| ぴあの | 2009/11/06 22:47 | URL | ≫ EDIT














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