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今日を楽しく♪

今日も楽しくこつこつと英語学習しています!

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関空への思い

関空は私たち家族にとって思い出多い空港です。
たくさんの旅の思い出がつまっています。

アメリカ、ハワイ、タイ、シンガポール、ロンドン、セブ、いろんなところ何度も何度もいきました。

その関空が浸水し、空港としての機能を失っています。
どの映像を見ても悲しくなります。

今から7年前の3月。
当時ワシントン州立大に留学していた娘と春休みを一緒に過ごすためNY旅行を計画していました。

出発前日の記事です。
「行ってきますのご挨拶」

スーツケースの半分にぎっしり娘の好きなものをつめて翌日地元空港に向かいました。

3月11日です。
そう、東日本大震災が起きたとき、あの津波がおそったころ、夫の運転する車で私は地元空港に向かっていました。

その日は成田空港近くのJALホテルに宿泊予定で、まずは羽田で横浜の友人と会うつもりでした。その友人から「地震で羽田に向かえない」と連絡が。驚いて車のラジオをつけると伝わるニュース、ニュースに恐怖が。

地元空港につくと空港内はパニックのように。
ANA便はすべて欠航でしたが、私の乗るJAL1便だけは羽田に飛ぶと。

しかし4時間か5時間待ったのちに欠航に。
機長からのアナウンス。

「私たちは羽田に皆さんをお連れしてもそこからの皆さんの移動交通手段を保証できない。このような状況で皆さんを羽田までお連れするわけにはいかない。長い時間お待ち頂きながらこのようなことになり大変申し訳ない」と。

家に帰るしかありませんでした。
娘は私がNYに必ず来ると信じ、すでにワシントン州からNYへ一人向かっている頃でした。

その後、私は成田をあきらめ、2日後の関空発でNYに向かう手配をしました。

「ご報告」

関空に向かう「はるか」の中は外国人であふれていました。
まだ日本政府は発表していませんでしたが、欧米、特にヨーロッパでは原発事故によるダメージについて詳しく報道されていて、関空発のチケットを持たない人たちもとにかく関空に行けば脱出できると移動してきていたのです。

関空内はすごい人でした。
電車の中であったドイツ人、空港であったハワイの人など会う人会う人から、

「日本は大変なことになる。あなたはアメリカに行ったら当分は絶対に帰ってきてはいけない。娘さんのところにいなさい」と言われました。

急にとったチケットでしかも直行便ではなく、シアトル経由で、そのシアトルではまさかのオーバーブッキングで席がないといわれながらも、なんとか交渉し、やっとやっとNYに着き、娘と対面することができました。

「無事NYに着きました」

結局、娘のほうが1日早く着いたため、娘はひとりで大都会NYで1夜を過ごし、なんと私のためにビールとお惣菜を買って準備してホテルの部屋で待っててくれてました!

アメリカでは連日、震災のことが大きく報道され、日本人だというだけで多くの方から温かく声をかけて頂きました。

タイムズスクエアの教会に行ったとき、ゴスペルが歌われた後、神父さんがお説教の中で東日本震災のことに触れ、「日本のために祈ろう。日本人のために祈ろう」

Pray for Japan, Pray for Japan

と呼びかけ、教会の中がPray for Japanという大合唱であふれました。おそらくその時、教会の中にいた日本人は私と娘の二人だけだったと思いますが、まわりに立ってる方々が私たちを温かくみつめながら力強く、Pray for Japanと祈ってくれ、私も娘も涙がとまりませんでした。

娘と一緒に過ごし、娘はラガーディアからワシントン州プルマンへ、私はJFKから日本に帰国しました。

「帰国しました」

母が出発前に「少ないけどアメリカでにゃるに会ったら一緒に使って」と1万円渡してくれました。

アメリカにいる間、それを何に使おうか考えたのですが、それで私は「安全」を買うことにしました。帰国日、それぞれの空港が違うこと、そして出発が早朝であることから、信頼のおける日本人がやってる送迎サービスの会社に依頼し、ホテルからラガーディアとJFKへの送迎を頼んだのです。

ラガーディアで娘をおろし、私が一人車に残ったとき、私は泣けて泣けてたまりませんでした。娘とすごせた楽しかった日々。娘のアメリカでの成長が感じられたうれしさ。そしてまた別れ。震災後の日本への不安。私たちはまた会うことができるのだろうか、、

それまで全く口を利かなかった韓国人ドライバーの方が、とつとつとした英語で私に話しかけてくれました。

今降りたのはあなたの娘か?
あなたは一人で日本へ帰るのかな?
娘さんと別れて寂しくて泣いてるのかな?

それから、彼は自分の人生を語りだしました。
彼は韓国からアメリカに30年ぐらい前にやってきたがいまだ英語は得意じゃないといいながら、とつとつと。

自分は英語ができないから仕事はドライバーだけど、アメリカに来てよかったのは、ふたりの子供にアメリカの教育を受けさせ立派に成長したことだ。二人とも大学へ行き、一人は大学院も卒業し今は、~で働いていて、私は二人が誇らしくてたまらないと。妻も英語ができないが二人で苦労しながらもアメリカで生活して本当によかったと。

彼は私に、だからあなたも娘さんにアメリカの教育を受けさせてるんだから、誇りに思いなさいよと言ってくれたかったのかもしれませんが、車がJFKに着き、会話は終わりました。

空港内でサンドイッチとコーヒーを買ったとき、TIME誌が目にとまりました。

写真 2018-09-06 7 24 04

そして購入しました。

この前、娘のアパートの本棚を見ていたら、なんと娘の本棚にも同じこのTIMEが!!

彼女も私と別れてラガーディア空港で書店に入ったとき、これがふと目に入り買ったというのです。

今でも、この2冊のTIMEは我が家と娘宅にそれぞれあるわけですが、なんだかあの時間を共有した母と娘の絆のように感じます。

この旅行、アメリカでの娘との再会ができたのは関空のおかげ。

関空のおかげで私も私たち家族もたくさんの思い出を作ることができました。

1日も早い復興をのぞみます。
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| こころ | 2018-09-06 | comments:0 | TOP↑

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