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今日を楽しく♪

今日も楽しくこつこつと英語学習しています!

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桜 ~その1~

私が中学のとき、どうしても行きたい高校がありました。
高校受験のとき、担任の先生に
「合格は99%無理だ」と言われ一度はあきらめました。

しかし、一晩考えて
「受けなければその高校には100%行けない。
でも、受ければ1%は可能性があるんだ」

と思い直し、両親を説き伏せ、翌日担任の先生に

「1%にかけます」

と宣言し、合格しました。
受験に最後まで反対してランクを落とすように行っていた父が
合格発表の知らせを聞いて
タオルで顔をおおって号泣していたと
あとで母から聞きました。

高校3年間はとても充実していました。
インターハイに団体で出場することもできました。
迎えた大学受験、

今度もどうしても入りたい大学がありました。
高校受験でサプライズ合格をしたので
なんとかなるような気がしていました。

しかし、高校受験ですべての運を使い果たしたのか
人生そう甘くないのか、私は不合格でした。
それで浪人しました。

当時、今からもう30年近く前のことですから
女性の進学率はそう高くなく、
しかも女が浪人までして大学に入るなど珍しく、
父の姉達から

「いったい女の子を浪人させてまで何様にさせるつもり」

と、母はかなりイヤミを言われたようです。
父も女が4年生大学に行くなんて、しかも浪人すれば23歳になり
婚期が遅れるし、大学出の女は頭が高くなって嫁の貰い手がない。

なんて、時代遅れのことを言っていました。
そんな父を説き伏せてくれたのも母です。

母の母、つまり私の祖母もいつも私を認め応援してくれました。
高齢の祖母がバスを乗り継ぎ乗り継ぎ
私の予備校の前まできて、

「ぴあのちゃんがんばってね」

と心の中でつぶやき予備校をあとにしたと
何年もあとで母から話を聞き、祖母の大きな愛にふれました。

私が現役のときの大学受験システムは
一期校、二期校の最後の年でした。

浪人した年は共通一次元年でした。
まさか自分が浪人するなんて思っていなかっため
現役生に比べいろんなハンディがありました。

たとえば受験科目です。
現役時代は国立文系は英数国の他に社会2、理科1だったのが
浪人してからは英数国の他に社会2、理科2となり、
理科で1科目受験科目が増えました。

はじめて受けた5月の模試では
生物では県下トップをとったものの
新たにとった化学はなんと5点で偏差値が9.5点。
予備校の校長先生に
「こんな偏差値は初めてみた」と笑われました。
現役時代得意だった数IIBは浪人時代の科目からは削除されました。

浪人時代いろんなことがありました。
父が入院し、手術を受けました。
高校時代からつきあっていた人とも別れました。

それでも夢をあきらめず
どうしても入りたい大学の合格をめざしました。

共通一次の点数は目標点に達せず
そのまま目指していた大学を受験するか
ランクを落として確実に合格できる大学を受けるか迷いました。

しかし、

何のために浪人したのか?

そう考え
2次試験での逆転を狙い
初志貫徹で志望校を受験しました。

結果は、


不合格でした。

またも私の桜は咲きませんでした。
合格発表の帰り道、

大きな川のたもとに座り、
ひとり声をあげて泣きました。
応援してくれたすべての人に特に母に
申し訳なく、ふがいない自分が情けなく
泣けるだけ泣きました。

気がつくと別れた彼の家の前に来ていました。
別れた後もずっと応援してくれていたのに
合格の報告ができず残念でした。
思いを書き留めていたノートをそっと郵便受けに入れ立ち去りました。

思っても願ってもかなわないことがあるということを知りました。

★桜~その2~に続きます。



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| こころ | 2009-04-05 | comments:0 | TOP↑

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