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今日を楽しく♪

今日も楽しくこつこつと英語学習しています!

2009年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年05月

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桜 ~その3~

★この日記の前に「桜 ~その1~」「桜 ~その2~」を先に読んでくださいね★

私が浪人の末に入った大学・・・
当初は「この大学なら何も浪人しなくても現役でも十分入れたのに・・」
と、なんだか都落ちのような気持ちを持っていました。

もちろん、いい出会いもたくさんあったし、
ハワイへの短期語学留学もできたし、
何より今の仕事に進む1つのきっかけをつかんだのも
この大学でした。

しかし、高校とはちがい、
胸をはって私は~~大学出身です!
そういえる感じではありませんでした。

特に私の職場の同僚はみなさん当たり前のように
超有名大学や大学院を出ていて
博士号を持っている人もたくさんいて・・

大学の先生という仕事ですから当たり前といえば当たり間なのですが
それでも私は自分の学歴にずっとコンプレックスを持っていたのです。

娘がまさか私と同じ大学に進むなんて夢にも思いませんでした。
でも、去年、娘の受験につきそって
30年ぶりに自分の出た大学のキャンパスに足を踏み入れた時、

なんだか胸の底からこみあげてくるものがありました。
そうか、私の原点はここにあったんだ!
そう思えました。

娘が進学して1年。
先週、娘の所に行ってきました。

昨日、娘の自転車を借り、1時間半ほどかけて
「思い出巡り」をしてきました。

まずは当時住んでいた下宿(ハイツ)に向いました。
30年ぶりに大家さんご夫婦にお会いしご挨拶できました。
娘が去年からまたこの大学に通っているというと、

「ご縁ですね~」

そうおっしゃっていました。
去年からずっとずっとお訪ねしたいと思っていたので
念願がかないました。

それから自転車で駅に向いました。
駅前の商店街、最初に住んでいた下宿、隣のパチンコ屋、
友達とよく飲みに行った小さな小さな居酒屋。
当時付き合っていた人とよく行った公園。
桜がきれいに咲いていました。

懐かしさやら嬉しさやらでペダルも軽く
どんどん自転車が前に前にと進みました。

帰り道にちょっと迷い、近くの交番所に立ち寄りました。
あ~ここも昔、バイクの鍵を落としてお世話になった交番だぁ。
帰りの道を親切に教えてもらいました。

娘のアパートに戻る途中、もう一度キャンパスに立ち寄りました。
ガードマンの方がいたのでちょっと立ち話をしました。

別にいわなくてもいいのに

「実は私、30年前にここに通ってたんですよ~
そして去年からは娘も通ってて。
今、私、当時の思い出めぐりしてるんですよ~」

そんな話をしました。
ガードマンのおじさんは穏かに

「それはそれは。この辺もかわったでしょう?
この道も広くなったし、お店も随分とかわってるでしょう?」

といろいろそのあたりのことを説明してくれ、最後に

「じゃ、ゆっくり思い出まわってきてください」

そう言ってくれました。

下宿のおじさん、おばさん、交番所のおまわりさん、
そこにたまたまいたご近所の人、そしてガードマンのおじさん

この街の人はみんな親切であったかくて
あ~わたしはこの街の人に支えられて学生生活が過ごせていたんだ。
娘のこともよろしくお願いします。

そんな暖かい気持ちで娘のアパートに帰りつきました。
カツマさんの本では繰り返し、

「起きていることはすべて正しい」
そう書かれています。

いいことも悪いことも含め、すべて起きていることは正しい。
そこから何を読み取り何を学ぶかですよね。

また、過去の事実は変えられなくても
その事実がたとえ悪いできごとでもいいものに変えることができる
とも書かれています。

私も娘も行きたい大学にはいけなかった。
それは事実です。
でも、その事実のおかげで現在の私があり娘がある。

今の私が幸せなのはその事実のおかげ。
私の現在の生活のルーツはここにあったのだ!
そう思いました。

どうしても入りたかった大学に入れなかった私。
浪人しても入れなかったその大学で
私は今、講師をしています。

授業料を払って学生になりたかった大学から
お給料をもらって講師をさせてもらっています。

人生って不思議ですね。
だからおもしろいのかもしれません。

今年の桜はひときわきれいに見える私です。

| こころ | 2009-04-05 | comments:5 | TOP↑

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桜 ~その2~

★この日記の前に「桜 ~その1~」を先に読んでくださいね★

どうしても入りたい大学への夢が破れ家に帰ると母が待っていました。
実はその日はある大学の後期入試の出願〆切日だったのです。

家に帰ってもまだ部屋にこもって泣きじゃくってる私に母は、
「泣いてる場合じゃないよ。これ出願しないと」
と願書一式を持ってきました。

もう大学なんて行かなくてもいい・・・ぐらいに思っていた私ですが
母がすでに銀行の人に集金にきてもらい
受験料まで払っていたので
私も気を取り直し、願書だけは提出しました。

そして入った大学、それが

なんと・・・

実は・・・

今の娘が通っている大学なのです。

運命って何て不思議なのでしょう。
去年の娘の受験のとき、書けなかったことですが、
そう、娘は当時の私とほぼ同じプロセスをふみ
今の大学に入ることになったのです。

本当は・・・本当は・・・
私は娘に私の出た高校に進んで欲しいと願っていました。
1%にかけて合格した高校はそれはそれはすばらしく
私自身がとても充実した高校生活を過ごすことができました。

息子には夫の出た高校を
娘には私の出た高校に
と実は子ども達が生まれたときからそう願っていました。

そんな私は知らず知らずのうちに
子ども達をマインドコントロールしていたようで・・・

息子が高校受験のときやはり夫の出た高校を志望しました。
1,2年時の成績ならよかったのですが
3年になって成績が伸び悩み、
3者面談のときには担任の先生に
合格は厳しいといわれました。

どうしても受験したい。
オレはその高校に進む姿しかイメージできない。

そう、言う息子に担任の先生が、

「でも、今のこの成績でかつて合格したものはいない」

そこまで言ってくださいました。
この担任の先生は息子のサッカー部の監督で
息子の性格もよく知っていたため
あえて厳しい現実を教えてくださったのだと思います。

「今までこの成績で合格したものはいない」

そういわれた息子、なんと

「じゃ、オレが歴史を作ります!」

そう言い切りました。
ちょうど夕日が教室にさしこみ外が光っていたのを覚えています。

1%にかけると言った私。
歴史を作るといった息子。

高校受験が終わった日、息子が
「オレ、受かったら
泣くかもしれない。叫ぶかもしれない。(嬉しくて)倒れるかもしれない」

そう言いました。
そこまで行きたい高校が受験できてよかったと思いました。

1週間後、祈るような思いでみつめた合格発表の掲示板に
息子の番号がありました。

息子、叫んでいました。
雄たけびをあげていました。

それから3年後、今度は娘の高校受験。
やはり娘も私の出た高校を目指しました。

私と息子のサプライズがあっただけに
今度は娘もという思いがありました。

娘の場合も合格は厳しく
先生から「合格の可能性は3:7」と言われました。
しかし、娘もまた志望校をかえませんでした。

2度あることは3度あると言われますが、
娘の場合は合格することができず
不合格でした。

私のせいだと思いました。
私が自分の出た高校にこだわったから・・・
自分や息子のサプライズ話で娘を誘導してしまったから・・・

だから・・だから・・
娘の15の春を悲しい涙にさせてしまった・・・

自分を責めて責めました。

ところが娘はB型の楽天的な性格が幸いし
すぐに気持ちを切り替え、
進学した私立高校でそれはそれは楽しい高校生活を過ごしました。

特進クラスに入ることもでき、
部活では監督はじめ先輩にもかわいがっていただき、
私立独特のアットホームな中でのびのびとした高校生活をすごすことができました。
そう、在学中に甲子園にも行くことができました!
甲子園でクラスメートを応援し、勝利しみんなで肩をくんで校歌を歌うなんて経験、
なんて幸せな高校生活なのだろうと思いました。

そして迎えた大学受験、
今度こそは今度こそは満面の笑みで

受かった!!!

という瞬間を経験させてやりたい。
そう思いましたが、なかなか思いは届かず(去年の日記参照)
ようやく最後の最後に決まった大学、

それが私の出た大学だったのです。
私の高校の後輩になって欲しいと思っていたのがかなわず
なんと・・大学の後輩になってしまったのです。

★長くなってしまいましたので「桜 ~その3~」に続きます。

| こころ | 2009-04-05 | comments:0 | TOP↑

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桜 ~その1~

私が中学のとき、どうしても行きたい高校がありました。
高校受験のとき、担任の先生に
「合格は99%無理だ」と言われ一度はあきらめました。

しかし、一晩考えて
「受けなければその高校には100%行けない。
でも、受ければ1%は可能性があるんだ」

と思い直し、両親を説き伏せ、翌日担任の先生に

「1%にかけます」

と宣言し、合格しました。
受験に最後まで反対してランクを落とすように行っていた父が
合格発表の知らせを聞いて
タオルで顔をおおって号泣していたと
あとで母から聞きました。

高校3年間はとても充実していました。
インターハイに団体で出場することもできました。
迎えた大学受験、

今度もどうしても入りたい大学がありました。
高校受験でサプライズ合格をしたので
なんとかなるような気がしていました。

しかし、高校受験ですべての運を使い果たしたのか
人生そう甘くないのか、私は不合格でした。
それで浪人しました。

当時、今からもう30年近く前のことですから
女性の進学率はそう高くなく、
しかも女が浪人までして大学に入るなど珍しく、
父の姉達から

「いったい女の子を浪人させてまで何様にさせるつもり」

と、母はかなりイヤミを言われたようです。
父も女が4年生大学に行くなんて、しかも浪人すれば23歳になり
婚期が遅れるし、大学出の女は頭が高くなって嫁の貰い手がない。

なんて、時代遅れのことを言っていました。
そんな父を説き伏せてくれたのも母です。

母の母、つまり私の祖母もいつも私を認め応援してくれました。
高齢の祖母がバスを乗り継ぎ乗り継ぎ
私の予備校の前まできて、

「ぴあのちゃんがんばってね」

と心の中でつぶやき予備校をあとにしたと
何年もあとで母から話を聞き、祖母の大きな愛にふれました。

私が現役のときの大学受験システムは
一期校、二期校の最後の年でした。

浪人した年は共通一次元年でした。
まさか自分が浪人するなんて思っていなかっため
現役生に比べいろんなハンディがありました。

たとえば受験科目です。
現役時代は国立文系は英数国の他に社会2、理科1だったのが
浪人してからは英数国の他に社会2、理科2となり、
理科で1科目受験科目が増えました。

はじめて受けた5月の模試では
生物では県下トップをとったものの
新たにとった化学はなんと5点で偏差値が9.5点。
予備校の校長先生に
「こんな偏差値は初めてみた」と笑われました。
現役時代得意だった数IIBは浪人時代の科目からは削除されました。

浪人時代いろんなことがありました。
父が入院し、手術を受けました。
高校時代からつきあっていた人とも別れました。

それでも夢をあきらめず
どうしても入りたい大学の合格をめざしました。

共通一次の点数は目標点に達せず
そのまま目指していた大学を受験するか
ランクを落として確実に合格できる大学を受けるか迷いました。

しかし、

何のために浪人したのか?

そう考え
2次試験での逆転を狙い
初志貫徹で志望校を受験しました。

結果は、


不合格でした。

またも私の桜は咲きませんでした。
合格発表の帰り道、

大きな川のたもとに座り、
ひとり声をあげて泣きました。
応援してくれたすべての人に特に母に
申し訳なく、ふがいない自分が情けなく
泣けるだけ泣きました。

気がつくと別れた彼の家の前に来ていました。
別れた後もずっと応援してくれていたのに
合格の報告ができず残念でした。
思いを書き留めていたノートをそっと郵便受けに入れ立ち去りました。

思っても願ってもかなわないことがあるということを知りました。

★桜~その2~に続きます。



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