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今日を楽しく♪

今日も楽しくこつこつと英語学習しています!

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人間の回復力ってすごい!(約2週間で退院!)

入院した翌日のレントゲンではすでに肺が元の大きさに戻りつつあり、早ければ翌日にでも肺の管(カテーテル)が抜けると言われ、一同安心。

ところが、その翌日になって、私の携帯に主治医から電話が。。。

「一度膨らみだしていた肺が、今日になってまた縮んできたので、今から緊急処置を行いますがいいですか?」とのこと。。

本人にも説明したが、家族にもということでの電話。処置をお願いし、15時には主治医から経緯の説明があるということで、父、弟、娘、私の4人で病院に出向く。

肺に空気を送り込んでいた管に血の塊がついてブロックしていたため、その管を抜き、新しい太い管をいれたとのことだった。迅速な処置に感謝!

肺への管は、長くても1週間まででそれ以上になると管から感染症のリスクがあるということで、改善が見られたら、一度管をクリップでとめて管を抜いてもいいことを確かめた上で抜くことになると。

処置は痛みもともったため、母へベッドでぐったりしていた。しかし、無事に終わったことでほっとしたのか、少しずつ会話もできるようになり、ベッドサイドにいた父に、私と弟を見ながら、

「じいちゃん、この子たちを産んで本当によかったね~」と言い、

父が、うんうんとばかりにうなずいていた。

その処置が功を奏し、無事その数日後には管も抜け、肺の機能も戻ったようで、母も肋骨の折れてる痛みはあるものの、順調に回復していきました。

途中、もともとの転倒の原因になっためまいの原因をさぐるべく頭部CTも取りましたが、結果を聞いた母から弾んだ声で電話が、

「海馬もきれいで、まったく問題ないんだって~とても83歳の脳とは思えないほどきれいなんだって~。いったい、どういうお仕事をされてたんですか~とまで聞かれたわ」と。

それまでは、あまりの痛みと、私たちに迷惑をかけるのがつらいからと、安楽死したほうが楽だとか、このまま施設に入れてほしいとまで言っていた母が、脳の結果を聞いてからは、

「皆さんがここまでよくしてくれるんだから、私もがんばらないと!」と、みるみる元気に。

言葉の持つ力ってすごい。

どうも、本人は勝手に脳腫瘍だと思い込んでいたらしい。。

大学病院ということで、入院中には、持病の糖尿病の先生にも診て頂き、家族にもきちんと説明してくださり、なくなりかけていた目薬は眼科で処方して頂いたり、リハビリの先生が熱心に進めてくださったり、本当にありがたかった。

最初は4人部屋だったが、個室が空いたタイミングで移ったため、大きな窓からは外の景色も見え、家族がお見舞いに行っても、周りを気にせずに話し、ゆっくり滞在できるようになったことも、母は精神的にずいぶんと楽になったと思う。

東京にいる息子からは、「おれは何もできなくてごめんね」と言いながらも、子供たち(母にとってはひ孫)の動画、

「おおばぁば、がんばれ~~~」を送ってくれていたので、それを大画面にして何度も母に見せた。母も、「ありがとね。おおばあちゃん、がんばるよ~」と嬉しそうで、こうして、みんなが母の回復を応援しているということが感じられたこともよかったと思う。

順調に回復するにともなって、「退院」の話がでるようになってきた。

そうなると、退院後の生活、実家での受け入れ態勢、準備を進めないといけない。何しろ、まだ肋骨は4,5本折れたままなのだから。

弟が中心になって、家の中の改修関係を。

・段差の解消
・お風呂の椅子の購入
・買い物(父にネット注文を教える)
・照明をLEDに交換し、リモコンで手元操作
・洗濯物を室内干しにするための工夫
・食卓の椅子を安全な回転椅子に

私は地域包括センターに行ったり、電話で今後の生活サポートについてケアマネージャーさんと相談

・両親が受けられるサービス内容
・父にあう運動中心のデイサービスの紹介
・食事の宅配サービスについて
・ヘルパーさんのサービス内容について
・介護度見直しの申請をすべきかどうか
・(将来的に)高齢者施設について
(その後)
・トイレとお風呂の掃除をヘルパーさんに依頼

これらについては、また次の記事でまとめます。

母は緊急入院から13日後、無事に退院することができました。

入院した日から1週間は弟が会社を休み(PCと会社携帯があればどこでも仕事は可能と言って)実家に父といてくれて、途中からは弟のお嫁さんが車で来てくれて、彼女の明かる人柄でみんなにが元気になったことも大きかった。

一時は父が憔悴しきっていたため、先週の土曜は娘一家も含め全員が実家に集結し、父を元気づけるために食事会をしたことで、父もかなり元気になりました。

母の退院にともない、一番気になっていたベッドも、病院が電動ベッドを手配してくれて、とってもリーズナブルな価格で貸して頂けることになり一同、ほっとしました。

これまで無知でしたが、今の世の中は、いろいろなサービスが受けられる仕組みができているようです。私たちは介護保険を毎月払っているわけですが、こういう風にいろいろ利用させて頂けるのなら、高齢社会にとっては必要なことなんだと改めて思いました。

次は母を受け入れるための実家改造について書きます。

| 両親 | 2019-12-07 | comments:0 | TOP↑

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肋骨が折れて肺に刺さり、肺に穴が、、、

救急車で大学病院につき、母はすぐにER(?)に。
私はもろもろの事務的手続きを。

その前に、担当の方から、「今日は朝からインフルエンザで救急外来に来られる患者さんが多いので、マスクされたほうがいいですよ」と言われ、マスクの自動販売機を教えてもらい、購入。

ドクターからは、エコーとレントゲンは取って、肋骨が何本かおれてるのはわかったが、詳しいことは、造影剤を入れて、CTを取ってみないとわからないと。

ただ、飲んでる薬によっては、造影剤を使えない場合もあるので、まずはお薬手帳が見つかってもってきてもらうまで、検査はせずに待機すると。

母は緊急処置のおかげで、多少会話ができるようになったので、お薬手帳の場所を聞き、実家にいる父と夫に電話で、お薬手帳探しを命じ、ようやく発見!

それをもって病院に来るには20分ぐらいかかる。
ドクターは、それぐらいの時間でしたら待ちますと。

そこで、私はひらめいた!!
夫に、お薬手帳の最新ページから遡って5ページぐらい分の写真を撮って、LINEで送ってと。

そのころには娘も実家に到着していたので、娘がささってやってくれて、私の携帯に送信。

私は、ERのドアをノックし、出てきたドクターに、そのお薬手帳の画像を見せた。ドクターは、私のこの機転に、「そっか、こういう手があったか!!!」と言わんばかりの感心した面持ちでLINE画像を見て、これなら造影剤は使えると。(血液検査での腎臓の数値にも問題がなかったのもあり)

母の検査が終わるころには、父と夫も病院に到着。
娘には実家で待機してもらい、入院の準備を整えてもらうことにした。(小さい子供もいるので、下手に病院にきて、インフルなどに感染してもいけないと思ったため)

一方、京都にいる弟は、こちらに駆け付けるべく、駅に向かうと。さらには、家族8名のグループラインを作り、情報を共有することもしてくれた。

検査の結果、肋骨が4,5本折れて、そのうちの1本が肺に刺さり、肺に穴があいてしまっていると。そのため、肺の空気が抜けて、肺がしぼんでしまっていて、中には血がたまっていると。

休日の夜とういことで、どうなるのかと思ったら、すぐにこれから緊急のカテーテル処置を行います!と。オンコールでスペシャリストの先生たちがすでに集結していた。

ここからは、ER担当ドクターから、呼吸器のドクターにバトンタッチされ、スペシャリスト3人でチームを組んで治療にあたると丁寧な説明を受けた。

私の携帯バッテリーも、夫がもってきてくれたポータブルバッテリーで充電ができ、まずはほっとした。

緊急カテーテル処置がうまくいかなかった場合は、急遽開胸手術が行われる可能性もあるとの説明も受けていたので、すでに電車に乗ってる弟にもLINEで随時連絡。

私は説明をうけるたびに大量の同意書にサインをし、医者の説明を父にかみくだいて説明。

無事、カテーテル処置は終わり、しばらく様子を見た後は病棟に移動することになった。もう時間は20時を回っていて、15時に母が転倒してから、飲まず食わずでいた父のために、飲み物などを買ってくる。ここで初めて父の憔悴しきった表情に気づく。。

病棟に移り、ひととおりの説明を受け、弟も21時頃、病院に到着。ここで、こんどは輸血に関する説明を受ける。万一、緊急オペになり、輸血が必要になったときに、そこから家族の同意を受けていると間に合わなくなるおそれがあるので、事前にとのこと。

1つ1つが本当に迅速で丁寧で、その対応に頭が下がる思い。

他の病院では80歳をすぎた高齢者である母に対し、失礼な対応をされたこともあるだけに、この病院の、1人1人の患者を尊重し、敬意をもって接してくれる姿勢にありがたくて涙がでそうになった。

看護師さんたちも、私たちに「突然のことで驚かれたでしょう。大変でしたね」と気遣ってくれ、本当にすばらしいスタッフに見ていただき、ありがたいという思いを家族みんなで感じていた。

母は痛みで苦しんでいたが、それでも呼吸も少しは楽になり、落ち着きを見せたので、病院をあとにすることにした。以上が初日の様子。

当初は、肺のほかに、肝臓や腎臓も折れた肋骨で損傷のおそれありと言われていたけど、他の臓器は大丈夫ということで、その点では安心した。

ただ、夜中に急変や緊急オペの可能性もあるので、第一連絡者の私は携帯を枕元に置いて連絡がとれるようにともいわれていたので、その日は眠りについたもののどこか緊張感はずっと残っていた。

| 両親 | 2019-12-06 | comments:0 | TOP↑

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母が転倒し救急車を呼ぶ

夫と紅葉を見に郊外までドライブ、

写真 2019-11-23 12 17 39

ランチも食べ、遊歩道も歩き、秋の休日を満喫して帰路についていた時、父から電話。

母が庭のテラスで洗濯物を取り込もうとした際に、急にめまいがして転倒、、そのときにコンクリート壁に激突し胸を打ち、動けなくなったと。なんとか家の中に入れたが激痛が、、、

どうしようと。

ともかく母の様子を見ないと判断できないので、まずは夫と実家へかけつけました。実家への道すがら、ホテル勤務の娘に電話。お客さん対応で救急病院などの情報を教えてもらおうと思ってのことです。

ちょうどダンナさんの実家にいた娘に状況を話すと、お姑さんが、「すぐに救急車を呼んだほうがいい」と。

救急車?
思いもしませんでした。
正直、何を大げさな、、とも思いました(('◇')ゞ

ともかく母の様子を見てからと思い実家に入ってみると、リビングで母が横たわり、激痛で顔面真っ青。。

これは、やはり救急車だ!
だいいち、普通の車に乗せることもできない。。。

母、父、夫にも、「救急車を呼ぶけど、いいね?」と確認し、人生初の119番へ電話。

「はい。消防ですか?救急ですか?」
「救急です」

そこから、状況、名前、年齢、住所を言うと、

「サイレンが聞こえたら前に出て誘導してください」と指示されました。電話を切ってから、家族から「(ご近所の手前?)サイレンは鳴らさないように頼めばよかった・・」と言われましたが、そんなこと、言ってられません。

ほんの数分で救急車、到着。
早い!

救急隊の判断では、肋骨が数本折れ、内臓に損傷があるのでは?と。大きい病院に搬送する必要があると。

最初に言われた病院は地元では有名な公立病院ですが、自宅からはかなり離れています。しかし、そんなこと言ってられません。

ただ、念のため、私が、「大学病院は?」と聞くと、「大学病院に搬送するのは、生きるか死ぬかのの場合のみです」と。ということは、少なくとも母は命の危険はないのか?

保険証とお薬手帳(←これが非常に大事!!)を準備するように言われていましたが、父も私たちも所在がわかりません。母に聞くも、意識がもうろうとしています。

とにかく、その辺にあった母の持病の薬の現物をもって、私が救急車に同乗。夫と父は保険証、お薬手帳、当座の入院準備をしてあとで病院にくることになりました。(さらには娘も実家にかけつけてくれて入院の準備を整えてくれました)

救急車の中では、受け入れ病院への依頼がまず行われました。

まず、最初に名前の挙がった公立病院に依頼をかけましたが、母の症状から必要だと思われる科の担当医が不在で受け入れられないとのこと。

そうなると、対応可能だと思われるのはA大学病院とB大学病院しかないとのことでした。

A大付属病院は私が勤務する大学でもあり、B大学病院付属病院は自宅から1時間以上はかかるため、祈るような気持ちで救急隊の電話での会話を聞いていました。

「了解です。では、向かいます」と言って電話が切られました。
A大学病院が受け入れてくれたのです!!

これが本当に幸運だったと後になって感じることが多々ありました。

受け入れ先が決まって救急車が出発。夫、父、そして京都に住む弟に連絡。ここで、私は自分の携帯バッテリーがすでに30%を切ってることに愕然としました。。。

ここまでのまとめとして、緊急時に大事なことを備忘録的にまとめます。

1.動けない状況の時に無理には動かさず救急車を即呼ぶ!
私たちは救急車というのはもっと特別な場合だと思い当初は躊躇しました。母が転倒してから救急車をコールするまでの時間が45分。しかし、救急隊のかたには、こういう場合はすぐに呼べばいいと言われました。とても優しい方で、「痛いのにがまんしてたの?つらかったね。すぐ呼んでくれてよかったんだよ」と母に話しかけていました。

また、今回のような場合は、下手に動かすと、別の骨が折れたりの可能性もあるようです。娘のお義母さんは家族がベッドから転落した際に自分たちで病院に搬送する際に新たな骨折が起こった経験があり、それがあって救急車を呼ぶことを助言してくれていたのです。

2.保険証とお薬手帳の所在をあきらかにしておく
保険証はその日なくても、〇日までに持ってきてくださいでまずはすむのですが、お薬手帳がないと、現在服用してる薬がわからず、たとえば造影剤を使ってCTをとりたくても、造影剤が使えるかどうかの判断ができず、迅速な検査ができません。

3.母の健康状況の把握
アレルギーがあるかどうかなど、いろいろ質問されましたが、即答できない質問もあり、普段から両親の状況を把握している必要性を痛感しました。

4.携帯充電は余裕をもって
今回のように多方面に連絡必要する際、携帯は命綱になります。私はバッテリーが30%を切っていたのに気づき、夫にポータブルの充電器をもってきてもらい事なきを得ましたが、途中でバッテリーが切れたらどうしよう、、、という不安でいっぱいでした。

病院到着後については続編に書きます。
救急車が到着したら、まるでグレイズアナトミーの世界でした。医者って本当にすごい!!と心から思いました。そして感謝でいっぱいです。

| 両親 | 2019-11-24 | comments:0 | TOP↑

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義父が施設に入所しました

大学は夏休みに入ったものの、お盆だったり、旅行に出かけていたりですっかりブログ更新が滞っていました。

お盆に夫の実家へ行った際に、4世代同居している兄嫁から義父91歳が夏に入って急に認知症が進んだようだと報告を受けてびっくり。もう自宅で見るには限界にきている様子に辛くなりました。

夫の兄、姉と話し合い施設にお願いすることに。

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| 両親 | 2019-08-28 | comments:2 | TOP↑

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上野公園の桜の中を手をつないで

ここ数年、入退院を繰り返していた両親がここのところ、奇跡的と思えるほどぐんぐん元気になってきました。

理由は2つ

毎週顔を見せる孫娘にゃる&ひ孫の存在。
つまりひ孫パワーですね 笑

そしてもう一つは、12月に母が入院していたときに、京都から弟がお見舞いに来てかけた言葉、

元気になったら、一緒に東京に行こう!

これがよほど嬉しかったらしい。
12月には一時危ない状況だった母が、みるみる元気になり、そして両親の上京が実現しました!!

86歳と82歳、新幹線での上京です。
まず、私が駅のホームで見送り、弟夫婦に無事、乗せたよ~とLINE。

弟夫婦も京都から新幹線で東京へ。
着いてすぐに両親の新幹線が着くホームの10号車で到着を待つことに。

まるで小学生の子供を見送る母親のように、
両親には、

「弟たちが来るまで、ホームから動いちゃだめだからね!」と念を押す(笑)

弟たちの新幹線がもし遅れたら、、、
うまく会えなかったら、、、
ドキドキ、ドキドキ、、、

義妹から、「無事に合流できました!」と満面笑みの両親と弟の写真が送られてきて、ようやく安心。これで弟夫婦に完全にお任せです。

今回の東京で、両親が楽しみにしていたのが、甥っ子の通う慶応大学のキャンパス訪問。日吉で甥っ子と合流し、キャンパスを案内してもらったようです。甥っ子とともに笑顔がはじける写真がきた~

その後、芝キャンパスも案内してもらい、お台場のホテルに。
弟夫婦とのグループラインから義妹が次々写真を送ってくれて、私がそれを我が家のグループラインに送る。

息子も娘も、「ばあちゃん、楽しそう。じいちゃんの笑顔もいいね!」など共有。

夜には、どらむ(私の息子)も合流し、6人で食事会。
その後、ホテルで2次会。

両親は10時半ごろ、自室に戻って休んだようですが、なんと甥と息子と、弟夫婦は朝まで飲み明かしたもよう。テーブルいっぱいにワインや焼酎のボトルが並んだ写真が送られてきた 笑

翌日は、朝はホテルのビュッフェで朝食。

父に、体調はどうですか?ばあちゃんは大丈夫ですか?とLINEすると、「ばあちゃんは、私より元気で笑いです(笑)」と返信が。

母からも、「リッチなホテルで部屋から海もみえてまるでハワイにいるようです」と相変わらず、句読点のないメールが(笑)でも、嬉しさが伝わってきます。

ちょうど、東京では桜が咲き始めたようで、両親と弟夫婦の4人で上野公園でお花見。

満開の桜画像とともに送られてきたのが、

写真 2019-03-25 13 27 07


送られてきたのが、
なんと、
なんと




写真 2019-03-25 13 47 51

仲良く手をつないで歩く両親の写真♡

いつもは杖をついてる母が、
杖ではなくて、父と手をつないで歩いてる。

東京で
桜の下を

よかった。よかった。こんな日が来るなんて。

その後、「今、新刊線に乗りました~」とLINEがきて、到着時間に合わせ、私は駅へ。ホームで待っていると、母が、続いて父が降りてきました。

無事に帰ってこれました。
よかった。
よかった。

   ****

我が家のお庭には今年もきれいにラッパ水仙が咲きました♪

写真 2019-03-25 8 54 12

息子が小学校2年生ぐらいのときに、私の誕生日に「ぼく200円しかなくて、、」と言ってプレゼントしてくれたのがこの球根でした。

その息子が今や2児のパパなんですからね~

桜にラッパ水仙、春ですね。

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旅ブログのお問い合わせを2名の方から頂きました。
すぐにURLをお送りしました。
ありがとうございました。

| 両親 | 2019-03-27 | comments:0 | TOP↑

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