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今日を楽しく♪

今日も楽しくこつこつと英語学習しています!

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義父が施設に入所しました

大学は夏休みに入ったものの、お盆だったり、旅行に出かけていたりですっかりブログ更新が滞っていました。

お盆に夫の実家へ行った際に、4世代同居している兄嫁から義父91歳が夏に入って急に認知症が進んだようだと報告を受けてびっくり。もう自宅で見るには限界にきている様子に辛くなりました。

夫の兄、姉と話し合い施設にお願いすることに。

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| 両親 | 2019-08-28 | comments:2 | TOP↑

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上野公園の桜の中を手をつないで

ここ数年、入退院を繰り返していた両親がここのところ、奇跡的と思えるほどぐんぐん元気になってきました。

理由は2つ

毎週顔を見せる孫娘にゃる&ひ孫の存在。
つまりひ孫パワーですね 笑

そしてもう一つは、12月に母が入院していたときに、京都から弟がお見舞いに来てかけた言葉、

元気になったら、一緒に東京に行こう!

これがよほど嬉しかったらしい。
12月には一時危ない状況だった母が、みるみる元気になり、そして両親の上京が実現しました!!

86歳と82歳、新幹線での上京です。
まず、私が駅のホームで見送り、弟夫婦に無事、乗せたよ~とLINE。

弟夫婦も京都から新幹線で東京へ。
着いてすぐに両親の新幹線が着くホームの10号車で到着を待つことに。

まるで小学生の子供を見送る母親のように、
両親には、

「弟たちが来るまで、ホームから動いちゃだめだからね!」と念を押す(笑)

弟たちの新幹線がもし遅れたら、、、
うまく会えなかったら、、、
ドキドキ、ドキドキ、、、

義妹から、「無事に合流できました!」と満面笑みの両親と弟の写真が送られてきて、ようやく安心。これで弟夫婦に完全にお任せです。

今回の東京で、両親が楽しみにしていたのが、甥っ子の通う慶応大学のキャンパス訪問。日吉で甥っ子と合流し、キャンパスを案内してもらったようです。甥っ子とともに笑顔がはじける写真がきた~

その後、芝キャンパスも案内してもらい、お台場のホテルに。
弟夫婦とのグループラインから義妹が次々写真を送ってくれて、私がそれを我が家のグループラインに送る。

息子も娘も、「ばあちゃん、楽しそう。じいちゃんの笑顔もいいね!」など共有。

夜には、どらむ(私の息子)も合流し、6人で食事会。
その後、ホテルで2次会。

両親は10時半ごろ、自室に戻って休んだようですが、なんと甥と息子と、弟夫婦は朝まで飲み明かしたもよう。テーブルいっぱいにワインや焼酎のボトルが並んだ写真が送られてきた 笑

翌日は、朝はホテルのビュッフェで朝食。

父に、体調はどうですか?ばあちゃんは大丈夫ですか?とLINEすると、「ばあちゃんは、私より元気で笑いです(笑)」と返信が。

母からも、「リッチなホテルで部屋から海もみえてまるでハワイにいるようです」と相変わらず、句読点のないメールが(笑)でも、嬉しさが伝わってきます。

ちょうど、東京では桜が咲き始めたようで、両親と弟夫婦の4人で上野公園でお花見。

満開の桜画像とともに送られてきたのが、

写真 2019-03-25 13 27 07


送られてきたのが、
なんと、
なんと




写真 2019-03-25 13 47 51

仲良く手をつないで歩く両親の写真♡

いつもは杖をついてる母が、
杖ではなくて、父と手をつないで歩いてる。

東京で
桜の下を

よかった。よかった。こんな日が来るなんて。

その後、「今、新刊線に乗りました~」とLINEがきて、到着時間に合わせ、私は駅へ。ホームで待っていると、母が、続いて父が降りてきました。

無事に帰ってこれました。
よかった。
よかった。

   ****

我が家のお庭には今年もきれいにラッパ水仙が咲きました♪

写真 2019-03-25 8 54 12

息子が小学校2年生ぐらいのときに、私の誕生日に「ぼく200円しかなくて、、」と言ってプレゼントしてくれたのがこの球根でした。

その息子が今や2児のパパなんですからね~

桜にラッパ水仙、春ですね。

   ***
旅ブログのお問い合わせを2名の方から頂きました。
すぐにURLをお送りしました。
ありがとうございました。

| 両親 | 2019-03-27 | comments:0 | TOP↑

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小さなヒーロー

なんとなく今年になって心掛けていることがあります。
それは、

・悩みや不安を人に言わない
・SNSでも発信したり共感を求めたりしない

私は悩みや不安があると、これまでは家族はもちろん、友人や同僚などに次々、自分が安心できる答え、不安が解消されるまで相談したり、話を聞いてもらったり、twitterなどで発信したりしてきました。

でも、そうしていると、ますますその悩みや不安が心の中で強調され、話すたびにまた新たな不安の芽ができたり、発信したり、コメントをもらったりするたびに、さらに不安が定着してしまい、片時も頭から離れない状況になっていました。

話をきいてもらったり、いいコメントをもらったりすると、なるほど!とその時は気持ちが楽になるのですが、それも長続きせず、また次の人に聞いてもらうことに(汗

また、時としては、聞いてもらった相手が何気なく言葉にしたことが、逆に自分で気が付いていなかったネガティブな情報に結びついたりで逆効果だったことも。

ただ、お酒を飲んだときとか、不安Maxになると、どうしてもtwitterとかでは書いてしまい、朝になって慌てて削除なんてことも何回かありました。。。汗

そこで、今年からとりあえずtwitterはたまに見るだけのツールとして、自分からの発信はやめました。ブログ更新のお知らせもtwitterではしないことにしました。自発的に読みに来てくれる方が読んでくれればそれで十分だと。

スタプラだけは、最後のとりで(?)で、どうしても書きたいときに、そこでだけは書いてもいいことに(自分で)しました。スタプラでは見てる人も限られていて不特定多数に対する発信ではないのと、お互いの英語学習の公開を通しての信頼関係ができていることもあっての判断です。

実は今年に入って、本当に大きな心配事が2つありました。

1つは娘の子ども(そうちゃん)に難病の疑いがかかったこと。

かかりつけの小児科から大きな病院へ行き、レントゲン、血液検査、CTと検査が進む段階で、ある病気の可能性が強いと言われ、その病気が難病指定の病気でした。まだ生後7か月なのに、ついには睡り薬を飲ませてのMRIまで。。

もしその難病だったら、、、と思うと、いたたまれず。患者の会のHPを見たり、夫とは、私たちは仕事をやめて、娘一家をサポートしていこうと覚悟も決めました。そうちゃんもかわいそうだけど、娘のことも不憫でしかたがありませんでした。

小児科チーム、脳外科チーム、さらにはデーターを送って大学病院の医師団とも協議が重ねられ、その病気の疑いは完全にはれて、結果的には経過観察ということになりました。自然治癒の可能性も非常に高いと。

この過程でのこと、以前の私ならもう気が狂わんばかりに発信していたと思うのですが、書かない、話さないことで、そして毎日ヨガをすることで、不思議と大丈夫と思えました。忘れている時間さえありました。

もう1つの心配は娘が今月、手術を控えていたこと。

妊娠がわかると同時に見つかった病気でした。当初は安定期に入ったら開腹手術の予定でしたが、状況を見ながら話し合いもし、なんとか自然分娩で出産もできたので、育児が落ち着いた頃、育休があけるまえに手術ということになっていました。

娘の旦那さんが勤続10年で1週間のお休みをもらえるため、今のタイミングがベストということでの手術。しかし、もし本人はもちろん、家族の誰かがインフルになったりしたら手術は延期になるので、猛威をふるうインフルの状況にハラハラする毎日でした。

その手術が昨日、無事に終わりました。
病院側の配慮で、個室に入れたため、娘はオペに向かうぎりぎりまで、そうちゃんに母乳を飲ませ、元気で点滴つけながら歩いて笑顔でオペ室へと入っていきました。

そんな姿に、私、がまんしてもがまんしても涙がこみあげてきて、その私を見て、「ま~た母さん泣いてるし」と言わんばかりの笑い顔で手をふって、オペ室へ入っていきました。

実は2年半前にも同じオペをしているのですが、その時は待っているのは私と夫の二人。

今回は、それに加えて、娘のだんなさん、そしてそうちゃん!!だんなさんのご両親や、どらむ(息子)、どらみちゃん(お嫁さん)皆から次々と、祈ってるよ。大丈夫。成功するよ。こちらもドキドキしながら祈ってますとLINEが。

娘がそうちゃんの難病疑惑が告げられたときに、「母さん、家族が増えるってことは、それだけ喜びも増えるけど、心配も増えるんだよ。家族が増えるってことはそういうこと」と言ってましたが、

今回、娘のオペを待つ間、そんな家族の輪が広がり、応援団が増えた心強さを感じました。

手術は無事に終わり、それもいろんなパターンが事前に示されていた中で、いちばんいいパターンでの手術ができました。オペ室から病室に戻ってきて、まだ麻酔でぼ~っとしてる娘に、だんなさんが、「お帰り♪」と声をかけている姿にほろっときました。

今回、手術関係の同意書など書類のサインはすべてだんなさん。看護師さんやスタッフが娘を呼ぶ名前(苗字)も私たちのものとは違います。改めて娘は結婚したことを感じました(笑)

そして、そのことで私たちの心配も責任も前回の半分以下に感じられました。もう、私はぎゅっと力を入れて、全力で娘を守らなくても、娘にとっての家族はだんなさんとそうちゃんであり、その次の円にはだんなさんのご両親も私たちもいるという大きな円が2つになったのを感じました。

そうちゃんは、娘が入院した日からパパとともにパパの実家にお泊りで、毎日2時間かけて、ママのおっぱいを飲むため病院に通います。そうちゃんは、小さなヒーローになりました(笑)

| 娘の結婚 | 2019-02-08 | comments:2 | TOP↑

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娘に子供が生まれて感じる母への恩

先日、両親が結婚60周年を迎えました。
ダイヤモンド婚式です。

実は私たち夫婦の結婚記念日は両親と同じ日です。

ぴえとの結婚が決まった時に秋に結婚しようとなりカレンダーをみたら、たまたまその日が大安の日曜日だったことから、両親と同じ日に結婚するのもいいかもしれないと。

安易な気持ち(笑)でその日にしました。
まあ、それはそれでよかったのですが、なんだか毎年一緒にお祝いするのが慣例となって、途中からは、なんだかな~と思ったのも正直な気持ちです。

結婚60周年かー
いくら長寿社会になったとはいえ、二人がそろってそれなりに健康で自宅でその日を迎えられるって、とっても幸せなことだと思います。

10年前の金婚式のときは、京都の弟一家の帰省に合わせ、ホテルで盛大にお祝いをしたし、その後も喜寿や傘寿などもホテルでお祝いをしてきたので、今回は派手なことはいいかな~と思っていました。

それに、その日って私たちにとっても記念日だしー笑

両親、何かを期待してるかな?とは思いましたし、ちょっとプレッシャーにもなっていたのですが、あえて今年は何もしないことにしました。食事会も。

もちろん、朝LINEでお祝いメッセージを送ったり、電話で直接話すことはしました。でも、お祝いは特になし。

でも、だんだんとやっぱり後悔が。。。
そこで、2日遅れにはなったけど、何か贈ろうと思い立ち、素敵な写真立てをショップで見つけたのでプレゼントしました。

熨斗紙には「結婚60周年 御祝い」と入れてもらい、夫との連名にしました。

お花のきれいなカードに今の私が感じる両親への気持ちを手書きでしたためました。

写真立ては4枚入るブライダルタイプのものです。
父は85歳ですが、LINEもするし、スマホも自由自在に扱います。

最近は、アプリ「みてね」で息子や娘の子供たち(両親にとってひ孫)の写真や動画を楽しみに見ています。父はその写真をスマホに保存し、パソコンに転送してはプリンターで印刷しています。

で、その写真たちは冷蔵庫に貼ってるのです(笑)
ならば、きれいな写真立てに飾ればいいなーと。

本当に気持ちだけのささやかな贈り物だったのですが、昨夜母からお礼の電話がありました。

嬉しかった。
号泣した。

私は最近は両親のことを、じーちゃん、ばーちゃんと呼ぶのですが、カードの文面には、「お父さん、お母さんへ」から始めました。だって私にとっては、父母なのだから。

かつて母が糖尿病からの眼底出血で両目を手術した後、人生に絶望していたので母をクリスマスにグアムに連れていったことがあります。これからの人生、まだまだ楽しいことはあるよと言いたくて。

今から15年ぐらいまえのことです。
その母との旅行の最後の日に、帰りの飛行機の中だったかな?

母が、「この旅行で一番嬉しかったことは、きれいな景色やおいしい料理もあるけど、何よりも一番嬉しかったのは、旅行中、ぴあのが私のことを、お母さん、お母さんと呼んでくれたこと」

なんだかそのことをふと思い出したのです。

母に対する葛藤は私の長年のテーマでした。

母は一度もほめてくれたことがない。
だから自分はダメな子だと思ってきた。
自分に自信が持てなかった。
だからがんばった。
でも、母はほめてくれなかった。
常に他者の評価を気にする人間になった。
自分のことが好きになれなかった。

いい年した大人の私なのに、ずっとこんな葛藤があり、自分で自分を評価できず、つねに周りが私をどう見るか、人によく思われたい、そんな風にびくびく生きてきた。

こんな風になったのは、母のせいだ。という気持ちが大きかった。

20代後半のころからずっとこんな葛藤を抱えてきた。
いい年してまだ母に褒めてもらいたいと思ってる自分に愕然ともしていた。

しかし、ここ数年、母の老い、そして私自身が病気をしたことで自分がちょっとゆるくなってきたことで、少しずつ素直になれるようなった。

アドラー読んだり、断捨離したりヨガを始めたことで、シンプルに考えられるようになってきた。

自分のことが好きになってきた。
人生をがんばるから楽しむようになってきた。

そしたら母のことが許せるようになってきた。
そもそも「許す」なんて不遜だけど、でも、もう責める気持ちは全くなくなってきた。

今年の6月に娘が出産した。
それをきっかけに、いかに私がこれまで母に支えられてきたのか。

子供を持ちながらも日本語教師という軸をぶれることなく続けてこれたのは、まさに母のおかげだと改めて思った。

産前、産後の里帰り中、初めての子育てで不安だらけの時、どんなに母がサポートしてくれたのか。今の私は娘にはとてもそこまでのことはできない。それほどのことを母はしてくれたのだ。

なのに、私は、
母のせいで~~
母が~てくれないから~

など、足りないことばかりあげて心で責めてきた。

してくれたことにフォーカスせずに、マイナスなことばかりにフォーカスしてきた。

なんてやつだったんだーーー私は。

その立場にならないとわからないことはたくさんあるとは思うが、

今はもう母に対して、

感謝しかない。

| 母と娘の葛藤 | 2018-10-24 | comments:0 | TOP↑

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息子との熱く穏やかな時間

息子のどらむが8月11日に帰省してきました。
どらみちゃんと二人の子どもはまだ里帰り先の四国なので単独での帰省です。

反抗期が長く(5年ぐらい続いた)、元々の(熱い)性格が似てるためによくぶつかり、泣きながら、ときには殴り合いもどきの喧嘩もしてきた私たちですが、今やすっかり落ち着き、頼れる穏やかな息子になりました(笑)

実は私は来年でA大学をやめようかと悶々としていたのですが、私の話を熱心に聞き、2階の私の元英語教室の大きなホワイトボードに、私の話を聞きながら、マトリックス表のようなものを書いていって、すごく的確なアドバイスをしてくれました。

そのあとも、私の心の奥底にあった話や、今気になっていることなど、気が付くと二人で5時間も熱いトーク。こんな日がくるなんてね~。しみじみ。

息子自身も(某皇室のお相手の方の勤務で話題の)大手海運会社勤務からベンチャーにうつり、その後、クラウドファンディングで資金を集めての起業、そして商社に再就職と

大学を卒業してからのこの5年、いろんな経験をしてきたことが、そのときどきはハラハラしたり、なんでやめるの。もったいない!と思ったこともありましたが、

1つ1つの経験が今の彼を作ったのだと思うと、やはりどんな経験も一見失敗だと思えることも長い目で見れば、成長の糧になっているんだと思いました。

彼は9月からは何と4か月の「育休」をとります。
0歳と1歳児という小さい子供を二人抱えてるどらみちゃんを助けたいという思いとともに、

「子供の成長の過程を自分もしっかり見ていきたい」

という思いが強いよう。

彼の会社では、男性社員が育休をとるのは初めてのようですが、すでに承認され、復帰後は希望部署への異動も決まっているのだとか。

復帰後は、南米やアフリカ含め、海外を飛び回る忙しい仕事が待ってるだけに、それまでの期間は子育てとともに、充電期間として今後にそなえいろいろ勉強もしたいようです。

帰省してきた初日は娘一家もやってきて、娘の赤ちゃんに初対面し、目を細めるどらむおじさん(笑)

翌日は私とぴえの両方の実家へ行き、おじいちゃんおばあちゃんに会ったり、お墓参りしたり、そして夜は幼馴染たちとの飲み会。

昨日は昼まで寝て、一緒にうなぎやそばを食べ、新幹線で帰っていきました。

東京についてすぐに、「無事につきました。楽しいお盆をありがとう」とLINEが。

ありがとう。
こちらこそ、楽しいお盆をありがとう。

5年も続いた反抗期の時は、もう毎日が息子との闘いで、もはやこれは反抗期じゃなくて単なる彼の性格では?とまで思ったこともあっただけに、こんな風な穏やかで彼を頼もしいと思える日がくるなんて本当に嬉しいです。

来月は、息子のマンションに、ミニどら君と、ミニどら弟君に会いに行きます。

「来月、東京で待ってるからね」と言われ、もう、その日が待ちきれない、ぴあのグランマなのです(笑)

| 息子 | 2018-08-14 | comments:0 | TOP↑

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